何が幸せなのだろう
[未来を心配する事が不幸への始まり]
最近、薬を輸入や所持で捕まったり、いじめやパワハラ、モラハラ、セクハラをしているが、地位や名誉やお金や堪能な容姿があるのに
何故そんなことをするのだろうと思ってしまう事があるが、その反面、自分もいつかはそうなるのかもしれないと、心配になってしまう。
今の嫌な事、プレッシャー、非難、炎上で心がおれ未来に希望がなくなる時、無意識に行動してしまうのかもしれない。
本当にいかに未来を楽しいものにするか、昔よりも大変かもしれない。
でも、逆にしたい事をすぐ行動に起こせる時代だからこそ、今楽しいことをするべきなのかもしれないし、しないと未来への不安を、今のプレッシャーから解放する事ができないのかもしれない。
じゃあ、嫌な仕事だからと、辞めたとなるのでなく、嫌な仕事をしながらでもその中で楽しい事は何だろうかと思いを巡らせる事が肝心かもしれない。
その思いが大きくなり、次への行動が起こりそれが、仕事を変わるとか、逃げるとか、違うことへの行動の原動力になるのだろう。
その楽しいこと、思いを強烈に思い巡らさないと、逃げても心が荒み、仕事を変わっても心が荒んで未来を悲観し悪いことに進んでしまう。
他人のせいでも、環境のせいでも、運の悪さでもない、自分の楽しいと思う強烈な思いが、もしかするとひどい妄想や勘違いがないといけないのかもしれない。
失敗したり、ああしたり、こうしたりしたら後悔するだろうなとか失敗したりするだろうなと思った時点で終わりかもしれない。
例え、こうすればああすれば楽しいだろうなとか楽になるだろうなと思って、行動した事が最悪だったとしても、それは違ったのだから、自分のせいではないので、
では今度はこうすれば楽しいだろうと妄想する事で、最悪が最悪でなく次への楽しみに変わるのである。だから、過去を振り返って、ああしとけば良かったとか、これだけ損したとか思うこともないし、意味がない。
未来の楽しい自分に投資できたのだから。
楽しいわけがない。